【『政治の季節』も終わりつつある時期に、「遅れてきた男」(松山)と、卒業後に学生運動が勃興した「早すぎた男」(妻夫木)が出会う。 】というコピーに誘われてシネコンで観た。

「学生運動 傍観者の悲哀」と題して読売新聞(5月27日)はこう評している。
1960年代後半、学生運動が広がった理由は様々だが、根底には「他人を犠牲にして自分だけ幸せになっていいのか」という、若者たちの優しさがあったと思う。70年代に入り、運動が武力闘争に変わると、「優しさ」は通用しなくなる。そんな時代が舞台だ。
原作は、評論家・川本三郎が自らの体験をつづったノンフィクション。川本がモデルの主人公・沢田(妻夫木聡=写真左)は新聞社に入社し、週刊誌記者として学生運動を取材している。その中で出会った活動家・梅山(松山ケンイチ=同右)から武力蜂起の計画を打ち明けられ、疑いながらも、どこかで信じてしまう。
「リンダ リンダ リンダ」でアップを使わず、遠くから見つめるような目線で描いた山下敦弘監督だが、今回はカメラも心情も、沢田にぐっと寄っている。34歳の監督は、「政治の季節」を知らないからこそ、寄り添おうとしたのだろう。16ミリフィルムで撮影し、35ミリに引き延ばして作ったざらついた映像も、時代の空気を見事に表現している。
「優しさ」に共感しつつも活動家にはなれず、「優しさ」を捨てて社会のリアリティーに生きることも出来ない沢田は、常に傍観者でいるしかない。それはどの時代にも共通する、青春の悲しみだ。演じる妻夫木がとてもいい。「悪人」以上の名演だと思う。
他人のためには泣けなかった沢田は、ラストで自分のために泣く。それは傍観者の悲しみで、自己憐憫(れんびん)に過ぎない。それでも胸を打たれたのは、映画の目線がひどく優しかったからだ。2時間21分。新宿ピカデリーなど。(小梶勝男)
(2011年5月27日 読売新聞)
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この新聞評は原作者・舞台が仇敵「朝日新聞」ということもあって、心にもない賛辞だがどうか、意外だ。当時のジャーナルのイロイロな裏工作も露呈してたから。ね。論外だ。
「東都(アサヒ)は赤い」・・・この赤瀬川のコピーは当時傑作で、笑ったヨ。
だが、原作の評論家・川本三郎なる人物については恥ずかしながら認識外だったんで、どこかで水俣の川本輝夫氏と同一、誤認してたようで映画を観始めて「あー違うな!」とそれに気付いた。この誤認さえなかったら行かなかったのに。
心の中で安田講堂落城以後の出来事は記憶から欠落してるから、その辺を埋める作業と位置づけて取り掛かったんだが、浅間山荘事件へとつながる一連の運動史の総括の一助にもなるかという期待も、結局は裏切られた。(ヘル塗り作業は懐かしかった。)
妻夫木聡や松山ケンイチのファンなのか、観客はみんな静かだ。満足はしてないに違いないないし、声も出していない。
ダラダラ長いし、わたしは飽きて、途中で出ようかと思った位だ。(座席の椅子の具合も会わないし・・)
人に薦めようとは全く思わないし、感動も共感もない。ラスト沢田の泣きも山下監督も「真夜中のカーボウイ」をなぞってみたかっただけなのかもしれない。(伏線の沢田(川本三郎自身)もダスティン・ホフマンだと?) 騙された観客が悪い。
昔観たOP映画と同質だな、観ながら同じ味がするって思った。シングルシンガーズのゲー線上のアリアなんかが流れればまさに’60年代の成人映画。色っぽくない上に無駄に長~いのも。責任のなすり合いも原発事故だ。読売だって責任は免れまいに。
Yes , my guard stood hard when abstract threats
Too noble to neglect
Deceived me into thinking
I had something to protect
Good and bad , I define these terms
Quite clear , no doubt , somehow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
by BOB DYLAN
いまテレビは桑田桂祐のドキュメントを流している。よほど味がある。そして台風2号のニュース。被災地も浸水懸念!
▼福島原発事故の正体も少しずつ露わになった来た。まだまだ隠し事があるんだろうけど。「トレンチの汚水が何処からだろう」と言ってた頃に皆んなが懸念してた通りだったから、改めてゾーッとした。
菅総理のせいでもなく、谷垣の妨害工作のせいでもなく、すべてが一人分の年収7千万以上の保身を企てた東電幹部のせいなのだけど。現場の作業員は気の毒に思うが・・・。経団連米倉会長はそれでも原発は必要だ、とも。
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