塩原渓谷の紅葉も見とかなきゃ
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今年は何か元気がないように見えた。
大屋台の勢子もベテランが目立ち、ほのぼの・ユッタリしてたし、ネ。
今回は朝の七行器行列から見てたわけではなかったが、夕方の大屋台運行までの数時間会場をボンヤリと歩いてみた。(平日だということや、景気動向もあるが)露天の数も半減してたし、ひと出(観光客)もいっときに比して随分少なくガランというカンジ。
そこで、大国実頼(直江兼続の実弟)所縁の鴫山城址の登り口近くにある旧南会津郡役所(「南会津やまなみ泊覧会」関連)ナンカを覗いてみた。江戸の一揆の経過や人民出入り口・官吏入り口の設置に当時の情況に今の不況に思いを馳せた。祭りの底力はここ(南山御蔵入騒動)にあった筈。☆昨日の皆既日食も硫黄島周辺以外はほぼ全滅だったようだとか、国会解散や防府の豪雨土砂崩れとかトムラウシの遭難などブログネタにはこと欠かないなかで、なんか気分転換をと思ったが結局空振り。
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開港150周年で函館泊。花火大会を函館山から見下ろそうと、ロープウェイで山の展望台へいったが、うかつにも半袖シャツだったんで、耐え切れないほど風が冷たく、売店でウィンドブレーカを買った。
そして、展望台はツアー客で'展望’どころではなく、ようやく隙間をみつけて1枚。![]()
ところが、ロープウェイの裏側広場に回ったら人っ子1人いないし、椅子も灰皿もあり快適。ロープウェイの係が休憩していただけ。(ドーモ絵葉書などの定番ポイントらしい。)
1服しながらシャッターを押し続けた。花火は10号単発が1番大きく、なにか夜景に溶け込んでしまう位かわいい花火大会だった。長岡の4尺まではいかないまでも、広い場所(海)があるんだから3尺は欲しいし、開港記念にはあの打ち上げ音が打って付けと思え・・。振り向くと、イカ釣り船の漁火が点々と海峡に揺れて。
☆過日、札幌(定山渓、鹿の湯)で大学のクラス会があった。帰り足で富良野あたりのラベンダー畑でも撮影しようかと予定してたのに、連日の雨(誰だ、北海道に梅雨がないって言ったのは!)。断念して、晴れる可能性がある函館に迂回したんだ。そしたら、そこも雨。
一泊伸ばしてようやく晴天で、花火に出会えた。
空港でカメラは破損*(フロアに落下)するし、ケータイはキーロックが解除されないし**、満身創痍だが、食だけは真っ当にありつけた。サポロラーメン、長万部カニ弁当、函館ビールとイカ飯等など。宿はいつものルートイン。(イカソーメンは地元民は喰わないんだって。生姜醤油でイカ刺し。)* 電池ケース破損 (UNIT BATT HOLDER) 修理費 15,600円
**後日 機種変 ポイント数で無料
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ゴヨウツツジが咲き残っているかな、そう期待して展望ロープウェイに乗ってみた。初めてだったが、結構ボーッとする時間もとれて、眺めも良かった。標高は稼げないが・・・山頂駅が標高1417M。
![]()
(梅雨入りすぐに一日晴という天気予報だったから、無駄にしないようにと軽い気持ち・・・。)
が、当然シーズンも過ぎて、ゴヨウツツジの咲きついている筈もなく、散っ切った花びらが登山道にへばりついていた。幾輪か枝についている樹もあった。
ここの【自然 散策路】はゴヨウツツジのほかに見るべきものもないんで、せめて秋の紅葉にもう1度だけ来てみようとなどと・・・。そのときは(休み休みながらでも)清水平くらいまで歩こうかな。
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別に武者行列に嵌ったわけじゃぁないけど、昨年は日光東照宮の百物揃い・・だった。
こちらは、小規模でもナレーション付きBGMもほら貝もあり、演出担当もそういう業者がやっているようで、伝統ガチガチの東照宮のそれよりは趣きがあった。装束もきれいだ。
観客も東照宮に比べ、かなり少なく、それに前夜は「花と華」泊まり(若女将のがんばりか、部屋に和歌の軸など)という日程だから、のんびりできた。でもお互い落人だし・・・・・・。
この日は「平家の里」も『有料』の張り紙があったが、みてると観客の1割程度しか受付に回って料金を払っていない。ほとんどが『開門!』の掛け声で門を入る落武者行列にくっ付いて無料入場だ。みんな落武者なんだナ。
この日だけ有料にしたのは、イベントに水をさしてるようで、無理もない。
![]()
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晴天に恵まれたので、桧枝岐()で開催される尾瀬山開きでもと思ったのだが、遅かったようで、会場は撤収作業中。新緑も深くなりつつあった御池ロッジでUターン。![]()
仕方がないから、湿原も歩きにくいようだし、村におりていつもの店で「おろしそば」。 『山開きですか?』って店主の奥さん、きまりがわるいんで、「いえ・・」と返して、蕎麦湯に集中。
(尾瀬檜枝岐温泉観光協会の情報では、現在雪が溶けた大江湿原にはミズバショウが咲き始め、ワタスゲの芽も出始めているらしい。積雪は、大江湿原の雪はほぼ消えたが、湿原への木道はほぼ雪に覆われている。ミズバショウの見頃は、例年より1週間ほど早い今月下旬から6月上旬とのこと。)![]()
【モーカケの滝駐車場付近⇒】
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春まだ浅い若松を訪れたが*、折しも<戻り寒>の時期で、陽射しの割りに風がなんとも冷たい 。さすがに街に雪の影は消えていたものの、シートを掛けられた除雪車が脇に置いてあったり、膨らんだ花蕾も芽吹きもなく、春の気配は遠い。城址にも飯盛山にも寄らず・・戻った。![]()
* 青春18キップ利用
電車からはまだ雪深い磐梯山が良く望めた筈が、残念なことに山側のの客たちは(外を見ない習性なんだろうか)日除けシートを目一杯降ろしていて、メールに夢中。眺めはそれで皆無。(ケータイ中毒とは良くいったもんだ)

【お土産は柿渋ベコ↓】
赤ベコをより自然にした「ゆっくり のんびり 渋く」だって。
☆家に着いたら、例の【創価学会給付金?】の通知が来てた。
欲しかったら駐車場のプレハブ小屋ににハンコを持ってこい・・・。
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一時、羽田沼に引っ越していたコハクチョウが、気付いたら以前の越冬地「琵琶池」に戻ってきてた。知らなかった。![]()
それとも羽田沼の給餌制限のせいなのか、別グループの立ち寄りなのかは判然としない。
でも、案内看板は撤去して汚れて、物陰の方に立てかけたままなんで、「もうココには居ないんだ」っていう先入感から通り過ぎてしまうところだった。
『不親切』っていう苦情も出るんではないだろうか。なんて余計な心配したりして・・・
(コリーナ傍の溜池でも北へ帰る途中の幼鳥が2羽見かけた)
☆国策捜査
衆院選挙がヤバイとか首相の支持率が下がって来たからといって、特捜(東京地検)を党利党略に使うとは、アソウ自民党も悪よな~
(ま、西松やオザワも勿論だヨ。)
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会津高原尾瀬口駅から散りかけの紅葉を追って、俄坂を経て中山峠まで林道を歩いてみた。![]() 山小屋風の別荘が散在していて、電線工事の大型車が数台。 中山トンネルが出来る前は尾瀬方面にいくのに、未舗装の洗濯板道をガタガタ走ったことが思い出される。(この広場には当時、茶店があったような記憶。)(参照) 峠からは、遠くに茶臼岳へ続く県境の山脈が良く見えていた。 |
![]() |
途中の 【門倉山麓】 |
| 七ガ岳山麓も既に枯れ山。もうじき雪だろうし、新緑期までサヨナラだ。 |
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と、長山洋子の歌がBSで流れている。『望郷ひとり泣き』
【時代遅れの写真帳から転記↓(ちょっと胸が詰まる景色を求めて紀行)】![]()
かつて、作家のS.Mと弘前行。
津軽書房でお目当ての本を購入し、宿を求めて津軽鉄道で金木。 ユース化した「斜陽館」は避けて、駅舎の看板で見た伊藤旅館に泊まることにした。
ツギのあたった畳部屋に炬燵、老夫婦の経営で、後継者はいないと言う。(クジラの酢漬けが印象的)
寝るまでの繋ぎに近所の一杯飲み屋でミョウガ田楽。「お山詣で」の話題。
朝、青森に戻るというS.Mと別れ、一路三厩、今別へ。竜飛か袰月か迷ったが、高木恭造の「陽コあだね村」を想い、袰月に決めた。車掌のいる乗合バスで高野崎下車、瞽女宿風の「旅人宿」の向かいに宿を決めたのち、北海道を望む岬で数枚撮って宿に戻る。
「碁石海岸ですか、はぁ、写真ですか」などオカミとさり気ない会話と「ニの膳」までウニ尽くしの夕食。(朝の清算時はヒヤヒヤしたが、民宿並で安心した。)
翌日は盛岡、そして一関、仙台とブラリ旅になったのだった。
数年後、湯西川で金木出のホテルマンと出会い、かの旅館のその後について聴いた。やはりソウカという思い。高木恭造だネ。
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名前は「那須フラワーワールド」。 フラ
ワーパークとは書いてない。しばらく振りで立ち寄ったてみた。花の「地上絵」という看板が入り口にあり、明るいガーベラ系の花畑が垣間見える。(←は昨年の画、この「園内を・・」は有料化して撤去、「百万本・・」は「地上絵」になっている。)左の方に仮の入り口と、その奥に未舗装の狭い駐車場の近くに小屋があり、入園料の張り紙とその蔭に番人のかげのほか人影はない。
進入路などは、まだまだ整備工事中なのだ。曇天で陽射しもなく、写欲も出ないので早々に帰参。
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山形まで鈍行の旅。台風一過の「上杉鷹山の城下町」米沢で途中下車した。が、暑さと時刻表に追われて、撮影は集中を欠いた。
【↑米沢駅前】日曜日の昼時、静かである。
【↓お目当ての板そば】 「わさび」は基本的は付いていない。カレーそばなんかと同じで、風味を損ねかねないからだというが、ネギもいらないよね。江戸時代は「七味だけ」という話もどこかで聞いた。

【←国の登録文化財の駅前旅館「音羽屋」】。「どんど晴れ」の加賀美屋のような葛藤もあったんだろうに・・・・・。
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銀座通りや祇園祭が全国にあるように、「よさこいは高知が最初」と高知の人が自慢気にいうのも自虐的で愉快。
(“ソーラン節”と“よさこい節”の相性はどうですか。本当は、YOSAKOIも鳴子もなくていいんじゃないですか。ソーラン節のみで。)
それから、YOSAKOIソーランを特徴付ける暗くて乱暴力的などなり声の号令が、どうも祭りには不似合い、剣呑な感じだ。(その号令でメンバーたちの表情が一瞬凍り付くように見える。)
(どこかの引用)
「よさこい鳴子踊り」の形式
高知のよさこい祭りは前夜祭・本番・全国大会と三日とも各部門に別れて表彰を行います。1チームは150名以下で構成され「よさこい鳴子踊り」のフレーズを曲に入れて、鳴子を手に持ち、競演場ではスタートから終点まで連続して進んで踊り続けます。
一部が地元や全国で開催されるイベントへの参加・協力等で踊る以外は夏の本番の期間しか活動していません。札幌のYOSAKOIソーラン祭りは全日程を通して大賞を決定します。手に鳴子を持つことは同じですが、曲にソーラン節のフレーズを入れる、一演舞の時間は4分30秒以内で、その間に100m前進することが決まりです。
多くのチームは年間を通して練習し、道内各地や全国のよさこい祭りに参加したりという活動を行っているようです。
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評判の「小百田舎そば」を食べた。きっちり冷やした、太めの「田舎」そばで、腰もいい。
大盛りは多すぎた。聞けば、以前はやってなかったそうな。
ただ、サイドメニューのてんぷら(かきあげ、100円)は作り置きで、しかも冷蔵庫で冷えてて固くなっているのでお勧めしない。
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今日から始まった移動展示、那須野が原博物館。絹本着色、軸装の古地図が綺麗で楽しい。(どうでも良い“日光山内図”関係を必要以上にクドクド拘って展示しているのは、栃木県立博物館の謀略だろうか。明治政府の危機遺産、那須野が原なのに興醒め・・・)
一方、館内で国土地理院のDVD、30分弱を通して観た。那須基線のほかは、目新しい発見はなかったものの、地図づくりの達成感を再び実感できたのは良かった。「観象台」、「たて道」など、日頃気になっていた地名に合点がいった。
測量学の頃は、文字通り学生してた、ことなんかを懐かしく想い出したりして・・・・
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ヒマラヤ原産だとか。
三依湿生植物園はケシ見学者でいっぱい。新記録だったでしょう。
ところで、キリスト教には、生命をランクづける、「選別」の思想があります。たとえば発展途上国援助に行った欧米のボランティアの人たちは、援助を求めてやって来る人々を、
といった三グループに分けて、援助をしても死ぬ人間には絶対に援助しないといいます。そうでないと、援助の効率が落ちるからです。ところが、日本人のボランティアの人々には、この「選別」ができないので、死ぬにきまっている人々になけなしの食糧を与えてしまいます。 ボランティアという行為自体が、キリスト教徒にとっては、自分が神から託されているものであり、当たり前のこととしてとらえていますから、日本人が考えているような、普通の人にはなかなかできにくい善行という意識はありません。
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日光から会津若松までの国道121号線の関東と東北の境界の峠(三島通庸の開削した会津西街道 )をトボトボと越えてみた。
藤原側は路肩崩壊、田島側は土砂崩れで塞がれて危険だが、どうにか歩けた。(通行禁止の看板あり)。野猿1匹が藪から覗いた。帰り道の「道の駅」は尾瀬帰りの中高年(中年は僅か!)で溢れていた。
・・・・オイラたちの将来の年金を食い潰してる連中だ。 あんまり長生きするんじゃないよ。・・・・
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←ホーチミン市。昔のベトナム戦争を思いながら散策。街に多い金属加工店とその技術はあの戦争体験からか、古くからの歴史的伝統か。我が国の若人も北鮮民も見習うべきと、芯から思った。昔の三里塚を記憶してだろか。
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日本餐廳(restrant)で「味噌拉麺」をオーダーしたら、葱も賽の目の豆腐が入って、コクの無いダシ味噌。その中に腰の無い白い「ソーメン」が沈んでる不思議な代物が出た。ローマ字部分を良く読んだら、「miso siru ramen」と書いてあった。納得!
ここに到るまでは、美味いっぱいだったが・・・。

街では、鼎泰豊餐庁の小龍包、花蓮の横町のワンタン専門店、寒軒餐庁で海鮮とパパイヤ、アジアの玄関の小旅行での「エピソード1」。 高雄金典酒店泊⇒。
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夕食前、揺れた。P波だ。あ、地震か、と思ったら、S波でグラと来た。
LPガスが止まった。震度は 4 か。
5 ほどはないぞと思ったが、TVではいつまでも 3 のままで、周辺地域は 4~5 だ。
やはり変だ。一夜が明けたら 4 に格上げされてた。震度は多数決で決めるんかい。
以前、この付近で、急傾斜地崩壊対策工事のボーリング調査の日雇い人足をやった。
石油エンジンのかつぎ上げと操作、コア採取、ひずみ計,電探等。
フライホイルだけでも50kg、全体で200kg位のを4人で担ぎ上げた。
会計は元ビクターの専属のオバサンで、現場主任はというと、住吉連合組員。
お決まりのダボシャツに紫の腹巻、夏だというのに。
1枚切符の列島1周の途中だった。
大昔だったから、三食飯付きで日給千くらい。1月位居た。
調査したどこの岩盤のコアも、風化した斜め45°の亀裂でズタズタ。
目前で、柿木が立ったまま、崖下へ滑っていった。
(自分の足元にもところどころに地割れ。)
過去の地震で滑った山や道路の話も沢山聞いたし、記録写真も見た。
その地盤上に、吊り橋を渡るようにして、高速道路や新幹線が走って、数十年。
ヤジロベーは、揺れてながらも、よく落ちないで来た。
その旅行はそこで中断した。上越線~東北線経由で下宿に戻った。
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福島県の15,000人の町が30億かけた施設を見学。プラネタリウムもあるしトレーニングルームもレストランもある。町民の文化度が自然で気負いがないのが心地良い。先の新潟県聖籠町も良かったが、ここもしっかり作っていた。とりわけ目を引くのは「倉美館」。設計者は都庁と同じ地元出身の古市徹雄。

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かつて、通ったの時は夜で・・・・・・音の記憶だけ。
↓
餘部鉄橋写真集
<↓夢千代日記>
神奈川県から殺人犯を追ってここ山陰・湯の里温泉までやって来た刑事と神戸の病院から帰ってきた夢千代、何の縁もない二人の点が線で絡まって余部の鉄橋を通過する列車の中から日記は始まります。
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午後3時に田島道の駅で雷鳴と時間雨量35㎜のどしゃぶり、午後6時には本町交差点辺りで突風と20mm位の雨粒を叩きつけられた。(バイクだったら泣きだ。)
空気団が不安定だったらしい。
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